東日本大震災によせて~我が国のエネルギー~
2011年 03月 31日
見える恐怖と見えない恐怖は、自然だけではありません。
<絶対安全>と言い続けた原子力発電所が
制御不能に陥ってしまいました。
爆発を起こしてモクモクと上がる煙は見える恐怖ですが
これは遠く離れた場所に居れば恐ろしいものではありません。
しかし、その爆発から放射線物質が飛んで
人体に悪影響を及ぼすとなれば
目に見えない恐怖と言えます。
ただ、本当に恐怖を感じるのは
事実がさっぱり見えない
先も見えない
これこそが<見えない恐怖>ではないでしょうか?
自然災害はあきらめ(不適当かもしれません)がつくが
人災はゆるせない。
当の東京電力がどうしていいのか解らないのではないでしょうか?
自然の力を利用して電気を生み出すはずが
自然の力によって破壊され、制御出来ない。
東京電力は、官民一体の推進力で
関西電力と相まって総発電量全体の40%を超えて
原子力発電に依存してさらに伸ばそうとしてきた。
確かに、戦後の発電方法として石油や石炭の化石燃料に頼った火力発電では
資源の無い日本では、不安定であり
常に世界情勢に振り回されてきた経緯がある。
その点はヨーロッパ諸国も同じであり
フランスは80%が原子力発電であり
ドイツも1980年代まで原子炉推進派だったが
1990年代に突然<脱原発>を掲げ
国民の支持を受け、ソーラーや風力発電の自然エネルギーへ
国を揚げての省エネ化が始まった。
理由は、原子炉そのものの安全性と
万一攻撃を受けた場合の危険性が
他の発電方法と比較にならない国難になるからだ。
我が国は、ドイツやフランスに比べ
地熱や火山熱もあり、海の波動や水力発電も可能性がある。
ソーラーは、ドイツよりはるかに日照率が高く有利だ。
日本政府は、ソーラー発電を薦める半面で
燃料電池式自家発電装置は、1Kw以上を認めず
電力会社のコントロール下にしてきた。
公共事業でありながら、民間企業の独占体制で明治時代よりやってきた。
そのなごりの一つが富士川と糸魚川で別れた2つのサイクル(50と60)だ。
本来、小さな日本の国内でサイクルが違うこと自体がおかしいのだが
そのおかげで、同じ電気製品が2種類必要になり
輸入品であれば、部品交換が必要になる。
今、東京電力が行っている<計画停電>なるものは
本来、統一したサイクルを使用していれば
中部電力や関西電力の余剰電力で十分賄える程度である。
万一、電力の省エネが必要ならば
私たちも躊躇することなく
エアコンや照明を消すことだろう。
<計画停電>とは聞こえは良いが
現実には、日本の首都の機能をマヒさせ
経済は元より、被災者の援助や復興にも多大な悪影響を及ぼすことになる。
東京電力のお粗末な原子炉管理も
理不尽な強制停電も
人災以外の何物でもない。
あれほど、地震大国日本における原子炉の危険性を言われながら
確かに日本史上最大級の地震ではあったが
けして世界的には、1900年以降最大ではない!!
世界史上では、この100年間で4番目なのだ。
つまり、絶対無い地震ではなかった。
震災も、津波災害も天災であり
自然を呪うよりもむしろ学ぶべきであり
非力な人間を素直に認めることで
新たな気持ちが復興の活力になる。
これは、過去の大津波から復興した歴史が物語っている。
私たちはそのことを判っているし、被災者の人々も解っている。
だから、じっと耐えているし
泣き言を言ったり、故郷を捨てる人もいない。
しかし、原子炉は人が造り出した物であり
それによって大きな被害に遭うのであれば、
考えなくてはならない。
東京電力で働く人、個人個人に責任が有るのでなく
<絶対安全>と言い続けてきた国、会社、そして御用学者に反省してもらいたい。
残りの60%を賄う火力発電所他に被害が出ていないこと
先の中越地震の柏崎原子炉が未だ回復していない現状を、どう説明するのか。
もし、日本最大級の柏崎原子力発電所が復旧していれば、<計画停電>は避けられた。
阪神淡路大震災の年、日本のGDPは0.9%下がったが
この震災は一体どれくらい経済に悪影響を及ぼすか想像がつかない。
そこに輪を掛けて東京周辺を停電させたら、恐ろしいことになる。
現場で命を掛けて戦っている東電の社員や消防レスキュー隊員、自衛隊員を考えると
今責めることはどうか?とも考えてしまうが
ピンチに陥った者を責めず、すぐ協力してしまう日本人の良民性を利用して
自分たちの必要性や重要性を暗に伝えようとしているのでは?と疑ってしまう。
問題の原子炉は、40年前に造られた代物
10Km離れた第二発電所はどうやら正常に冷却しながら停止しているようだ。
40年間無事に運転出来たことは、有る意味運が良かった訳だが
だからこそこの間に安全性の見直しが出来なかったのか?
(製造元のGE(ゼネラルエレクトリック社)が
IAEA(国際原子力委員会)から指摘を受けて
改善の必要性を東京電力へ通知していた。)
制御不能に陥る可能性を秘めるエネルギーである<原子力エネルギー>は
私自身は不要論者ではないが
地震国日本の危険性を考えると安全な場所などどこにもない!と思っている。
我が国には、自然エネルギーが満ち溢れている。
なぜ、危険を冒して<原子核分裂エネルギー>を使おうとするのか。
研究することと、実際に使うことは、危険度では何千倍、何万倍も違う。
原子力エネルギーには<核融合エネルギー>と<核分裂エネルギー>があるが
わたしたちの生命の元になる<太陽>は<核融合エネルギー>そのものだ。
つまり、核融合エネルギーが<生>のエネルギーならば
核分裂エネルギーは<死>のエネルギーと言えるだろう。
原子爆弾は正に核分裂エネルギーを利用したものだから。
結局、今回の事故がある程度無事に収束に向かったとしても
それは、自衛隊や消防隊員の献身的な努力の賜物であって
政府原子力保安院や東京電力の技術力ではない。
つまり、自己完結出来なかったことは間違いない。
自己完結出来ない代物を、民間企業の東京電力と監督補佐する保安院はその価値をなさない。
計画停電が日本経済に途方も無く大きな影響を与えているが、ここで私からの提案がある。
一般家庭の需給電力を30アンペアに限定することだ。
つまり、一家庭あたり最大使用量を30アンペアに限定して
その範囲内で各家庭が、考えながら使うことにする。
オール電化の家庭は厳しいが
(IHだけで使ってしまう)東京電力の口車に乗ったことを悔いてもらうしかない。
(昭和の後期の一般的な大きさ)
現在、一般家庭の使用電力は50~60アンペアが殆ど。
なかには100アンペア以上の家庭もあるそうだ。
関東圏に2000万世帯があるとして
最大使用量を30アンペアに限ることにより、
全体で1000万キロワットの節電が可能である。
なにより、心がけだけの節電に頼るのでなく
国民皆さんの平等性を持って節電し
産業を止めないように支援することこそ、被災者支援になる。
正直者がばかを見ない社会、本当に必要なものは何か?をはっきりすることが大切だ。
<絶対安全>と言い続けた原子力発電所が
制御不能に陥ってしまいました。
爆発を起こしてモクモクと上がる煙は見える恐怖ですが
これは遠く離れた場所に居れば恐ろしいものではありません。
しかし、その爆発から放射線物質が飛んで
人体に悪影響を及ぼすとなれば
目に見えない恐怖と言えます。
ただ、本当に恐怖を感じるのは
事実がさっぱり見えない
先も見えない
これこそが<見えない恐怖>ではないでしょうか?
自然災害はあきらめ(不適当かもしれません)がつくが
人災はゆるせない。
当の東京電力がどうしていいのか解らないのではないでしょうか?
自然の力を利用して電気を生み出すはずが
自然の力によって破壊され、制御出来ない。
東京電力は、官民一体の推進力で
関西電力と相まって総発電量全体の40%を超えて
原子力発電に依存してさらに伸ばそうとしてきた。
確かに、戦後の発電方法として石油や石炭の化石燃料に頼った火力発電では
資源の無い日本では、不安定であり
常に世界情勢に振り回されてきた経緯がある。
その点はヨーロッパ諸国も同じであり
フランスは80%が原子力発電であり
ドイツも1980年代まで原子炉推進派だったが
1990年代に突然<脱原発>を掲げ
国民の支持を受け、ソーラーや風力発電の自然エネルギーへ
国を揚げての省エネ化が始まった。
理由は、原子炉そのものの安全性と
万一攻撃を受けた場合の危険性が
他の発電方法と比較にならない国難になるからだ。
我が国は、ドイツやフランスに比べ
地熱や火山熱もあり、海の波動や水力発電も可能性がある。
ソーラーは、ドイツよりはるかに日照率が高く有利だ。
日本政府は、ソーラー発電を薦める半面で
燃料電池式自家発電装置は、1Kw以上を認めず
電力会社のコントロール下にしてきた。
公共事業でありながら、民間企業の独占体制で明治時代よりやってきた。
そのなごりの一つが富士川と糸魚川で別れた2つのサイクル(50と60)だ。
本来、小さな日本の国内でサイクルが違うこと自体がおかしいのだが
そのおかげで、同じ電気製品が2種類必要になり
輸入品であれば、部品交換が必要になる。
今、東京電力が行っている<計画停電>なるものは
本来、統一したサイクルを使用していれば
中部電力や関西電力の余剰電力で十分賄える程度である。
万一、電力の省エネが必要ならば
私たちも躊躇することなく
エアコンや照明を消すことだろう。
<計画停電>とは聞こえは良いが
現実には、日本の首都の機能をマヒさせ
経済は元より、被災者の援助や復興にも多大な悪影響を及ぼすことになる。
東京電力のお粗末な原子炉管理も
理不尽な強制停電も
人災以外の何物でもない。
あれほど、地震大国日本における原子炉の危険性を言われながら
確かに日本史上最大級の地震ではあったが
けして世界的には、1900年以降最大ではない!!
世界史上では、この100年間で4番目なのだ。
つまり、絶対無い地震ではなかった。
震災も、津波災害も天災であり
自然を呪うよりもむしろ学ぶべきであり
非力な人間を素直に認めることで
新たな気持ちが復興の活力になる。
これは、過去の大津波から復興した歴史が物語っている。
私たちはそのことを判っているし、被災者の人々も解っている。
だから、じっと耐えているし
泣き言を言ったり、故郷を捨てる人もいない。
しかし、原子炉は人が造り出した物であり
それによって大きな被害に遭うのであれば、
考えなくてはならない。
東京電力で働く人、個人個人に責任が有るのでなく
<絶対安全>と言い続けてきた国、会社、そして御用学者に反省してもらいたい。
残りの60%を賄う火力発電所他に被害が出ていないこと
先の中越地震の柏崎原子炉が未だ回復していない現状を、どう説明するのか。
もし、日本最大級の柏崎原子力発電所が復旧していれば、<計画停電>は避けられた。
阪神淡路大震災の年、日本のGDPは0.9%下がったが
この震災は一体どれくらい経済に悪影響を及ぼすか想像がつかない。
そこに輪を掛けて東京周辺を停電させたら、恐ろしいことになる。
現場で命を掛けて戦っている東電の社員や消防レスキュー隊員、自衛隊員を考えると
今責めることはどうか?とも考えてしまうが
ピンチに陥った者を責めず、すぐ協力してしまう日本人の良民性を利用して
自分たちの必要性や重要性を暗に伝えようとしているのでは?と疑ってしまう。
問題の原子炉は、40年前に造られた代物
10Km離れた第二発電所はどうやら正常に冷却しながら停止しているようだ。
40年間無事に運転出来たことは、有る意味運が良かった訳だが
だからこそこの間に安全性の見直しが出来なかったのか?
(製造元のGE(ゼネラルエレクトリック社)が
IAEA(国際原子力委員会)から指摘を受けて
改善の必要性を東京電力へ通知していた。)
制御不能に陥る可能性を秘めるエネルギーである<原子力エネルギー>は
私自身は不要論者ではないが
地震国日本の危険性を考えると安全な場所などどこにもない!と思っている。
我が国には、自然エネルギーが満ち溢れている。
なぜ、危険を冒して<原子核分裂エネルギー>を使おうとするのか。
研究することと、実際に使うことは、危険度では何千倍、何万倍も違う。
原子力エネルギーには<核融合エネルギー>と<核分裂エネルギー>があるが
わたしたちの生命の元になる<太陽>は<核融合エネルギー>そのものだ。
つまり、核融合エネルギーが<生>のエネルギーならば
核分裂エネルギーは<死>のエネルギーと言えるだろう。
原子爆弾は正に核分裂エネルギーを利用したものだから。
結局、今回の事故がある程度無事に収束に向かったとしても
それは、自衛隊や消防隊員の献身的な努力の賜物であって
政府原子力保安院や東京電力の技術力ではない。
つまり、自己完結出来なかったことは間違いない。
自己完結出来ない代物を、民間企業の東京電力と監督補佐する保安院はその価値をなさない。
計画停電が日本経済に途方も無く大きな影響を与えているが、ここで私からの提案がある。
一般家庭の需給電力を30アンペアに限定することだ。
つまり、一家庭あたり最大使用量を30アンペアに限定して
その範囲内で各家庭が、考えながら使うことにする。
オール電化の家庭は厳しいが
(IHだけで使ってしまう)東京電力の口車に乗ったことを悔いてもらうしかない。
(昭和の後期の一般的な大きさ)
現在、一般家庭の使用電力は50~60アンペアが殆ど。
なかには100アンペア以上の家庭もあるそうだ。
関東圏に2000万世帯があるとして
最大使用量を30アンペアに限ることにより、
全体で1000万キロワットの節電が可能である。
なにより、心がけだけの節電に頼るのでなく
国民皆さんの平等性を持って節電し
産業を止めないように支援することこそ、被災者支援になる。
正直者がばかを見ない社会、本当に必要なものは何か?をはっきりすることが大切だ。
by kzhome | 2011-03-31 13:20 | 社長の日記