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知多半島の自然

南知多の仕事をしていた先月の初め、道路に犬のような動物の死体がありました。
気になったので、帰りに車を止め、対向車に気を付けながら観察したところ、やはり
それは、<タヌキ>でした。
雌雄は判別出来ませんでしたが、立派な成獣で、毛並みも艶やかな野生感が有りました。
死後2~3時間といったところでしょうか、足首のあたりは鮮血が出ていました。
動いているところを見た確かな記憶はないのですが、「ひょっとしたら」程度は何度か
過去にもあります。
でも、実際こうして<タヌキ>の存在を知ると、死体とは言え、うれしくも有り、悲しくも有り、の複雑な気持ちです。
まだ、母が生きていた頃ですから5年ほど前に、阿久比町の田んぼと林の狭間に<子狐>を
見ました。
その<子狐>は、後ろ脚を傷めていたようで、<ビッコ>を引いていましたが、私が見つめていると、こちらを見ながらゆっくり、林の中へ消えて行きました。
来年は、半田市に生まれた童話作家<新美南吉>の生誕100年にあたるそうですが、
まだ、知多半島に<狐>が生存したのか、と感動にも似た気持ちと、痛々しい姿にその後
が心配になってしまいました。
なぜなら、明らかにビッコのせいでしょう、獲物を捕るのに苦労しそうな様子が伺いしれ、ひどく痩せていたからです。
私は、知多半島に住み57年になりますが、子供の頃は、行動範囲も狭く、自転車にも乗りませんでしたから、自宅から半径2km以内。
社会人になってからは、名古屋と半田、常滑、阿久比町の往復が殆ど。
ですから、子供の頃の半島の自然と言えば、阿久比川の下流域(半田市内では江川と呼ぶ)
で、もっぱら鮒や鮠(ハヤ)うなぎの幼魚(メソ)などを獲って自宅の池や水槽で飼ったりしていた。
なかでも、田んぼの畦に流れる小川に棲むタナゴ(イタセンパラ)のオスはまるで熱帯魚のような鮮やかな魚体をして、泳ぐ宝石のようだった。
今は、ボウリング場や住宅地になってしまった辺りが、最も多く棲息していた所でした。
<江川>には、他に<ハゼ><鰈の子><トビハゼ>などが本当に無数にいて、歩くと
足の裏に<鰈の子>が潜り込んでくるのが普通の出来ごとでした。
なかでも<トビハゼ>の愛くるしい仕草は、今思い出しても懐かしく感じます。
皆さんは<トビハゼ>をご存じでしょうか?
ハゼの仲間ですが、水陸両用で満潮になると、水の中に他のハゼと同様に棲息するのですが、潮が引き、陸地が現れてくると、巣穴から顔を出して胸鰭(ムナヒレ)を上手に使い
ぴょんぴょんと跳ぶのです。
有明海に棲む<ムツゴロウ>の親戚です。(ふたまわり程小さく、色はハゼと同じ)
日本の各地の干潟にいるようですが、どうやら知多半島では、もともと<江川>だけだったようで、もう何処にも見当たりません。
実は私、密かに<トビハゼを江川に蘇らす会>を企画しています。
上流の農薬散布や、家庭用洗剤の流入を防がないと、実現はしませんが、そのうちには。
話は戻りますが、先日の<タヌキ>や5年前の<子狐>は、本当に知多半島出身なのか?
疑問が残るところです。
皆さんの発見データが有れば教えて下さい。
私の疑問は、<名古屋万博>以前と以後の、名古屋市南部丘陵地帯での<タヌキ><狐>
などの目撃証言が、明らかに以後に増えていることです。
つまり、瀬戸地方の里山が崩され、居場所を失った動物たちが、豊田、豊明、大府、東浦
などの丘陵緑地帯を伝って、知多半島まで辿り着いたのではないか?と勘繰るのです。
20年、30年前に見掛けなかった<タヌキ>や<狐>が俄かに増えるとも考え難いです。
イタチなどは、常に見掛けていましたが。
でも本当のところは、棲息していてほしい気持ちもあります。
各地で問題となっている、熊やイノシシは困りますが、タヌキやキツネが棲める自然を残しながら、人間が共存出来るのなら、ちょっと素敵だな、と思います。
以前、マンションのリノベーション(全改装)をさせて頂いたお客様から、お仕事で赴任した米国のアトランタ郊外の家の庭に「<リス>がやって来て楽しんでいる」とお便りを
頂いたことがありましたが、知多半島もその昔<南吉>の時代には、<狐>もウナギも、
おそらく<タヌキ>も当たり前に棲んでいた処だったのでしょう。

by kzhome | 2012-12-06 08:44  

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