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iPS細胞でノーベル賞(山中教授のお話を伺って)

先日、ノーベル賞を受賞された山中教授の番組がありました。
化学は苦手な私ですが、彼の話に興味があり、伺っていると、なぜか
光ファイバーの西嶋潤一氏やコンピュータソフトの<TORON>を
開発した坂村健氏を思い出してしまいました。

3人の方には、全く日本人らしい共通点があるのです。


ほとんど、援助らしい援助もなく、独自の信念で廻りを引きつけ成果に
結びつけた。


私利、私欲が無く、あくまで社会の発展や人々の幸福(救い)が目的。

他にも有りそうですが、気が付いたところです。

中山教授は、「今回の賞は、私が貰ったと言うよりは、日本が受賞した」
と言い、更に「受賞したことは、励みにはなるが、研究は途に就いたばかり
でこれからが本番、一刻も早く患者の皆さんへ届ける薬や技術を生み出し
ていくことが、私の使命だと感じている」(多少記憶違いは勘弁下さい)
とおっしゃいました。

政治家と違い、詭弁や方便は無かったように思います。

誠にすばらしい人が<ノーベル賞>を受賞されました。
が、彼と同時にイギリスの科学者ガードン博士も受賞しました。
ガードン博士は、今から50年も前に山中教授の基礎になる、カエルの
腸から細胞を初期化して、クローンカエルを造った人です。
確かに、細胞の初期化を世界で初めて実証した人ですから、彼の実験が
なければ、山中教授の研究はなかったかもしれません。
しかし、50年間誰も追証出来なくて、偶然の産物のような評価でした。
そこに眼を付け、人体の皮膚から細胞の初期化を成功させたのは、圧巻です。

ゴードン博士の受賞にケチを付ける気は、毛頭ありませんが、ノーベル財団
には、一言文句を言いたい気分です。

2009年、チャールズ カオ香港大学長が、「光ファイバーの大容量通信の
可能性」を予測した論文で受賞したが、彼の論文の20年以上前1964年に
日本の東北大学教授<西嶋潤一氏>は、光ファイバーの原理を突き止め、当時
の特許庁に出願申請するも、20数回返され、結局黙殺されてしまった。
(私のブログ、<節電の夏>に詳しく書きました)
もし、特許が取れていれば、確実にノーベル賞の対象だったはずだが、特許庁
の執拗な<ブロック>に合い、公になることが無かっただけだ。

西嶋教授は、確信を持って申請したのだが、受け入れられなかった。
その事実を公にしたくない我が国の特許庁関連(経済産業省)は、彼を推薦すら
出来ない後ろめたさを持っている。(特許庁は文部科学省が持つか、独立させる
ことが必要だ)
つまり、「無欲の大学教授ごときが、大事な儲け口(光ファイバー)の特許など、
取らせるわけにはいかない」とする大企業と官庁が職権の乱用をしたことだ。

また、坂村健東大教授が開発した<TORON>と呼ばれるコンピュータソフト
は、現在のパソコン標準規格の<ウィンドゥズ>に比べ、はるかに優れた代物だ。
これも、1984年にマイクロソフト社に先駆けて開発されながら、坂村氏(
当時は東大講師)の、「万人に利用してもらうには、ソフト料は無料が良い」の
考えで、もし、これが実現していたなら、爆発的な普及と低コストのパソコンが
可能になったはずだ。

また、こんな愚痴がでてしまいましたが、まるで「判で押したような」研究者の
皆さんのお話には、心が洗われるようです。(文章を書きながら涙が出てきます)

iPS細胞の製法特許をいち早く京大の知財としたそうですが、そこにも山中氏
の先見性が見えて、頼もしく思いました。

つまり、製薬会社や海外の研究所に先んじられてしまうと、高額な特許料がネック
になって、薬品や治療法が進まなくなってしまうことを消した訳です。

こうした思考回路を持てる<日本人>を私たちは誇りに思っていいですね。
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by kzhome | 2012-10-29 15:55 | 社長の日記  

良い物観ました(悔しいけれど)

東京駅(丸の内駅舎)がグランドオープンしましたね。
私は、正直旧東京駅に思い出はありませんし、「ずいぶん永い間工事やってるな」ぐらいしか関心はありませんでした。

改めて明治から大正、昭和の初期までの日本の建築(いわゆるレトロ建築)って良いな、と思いました。
今回のJR東日本のチャレンジの素晴らしさは、70年前に失われた建物を<当時のまま>復元しようとしたことです。(免振装置をプラスしました!)一般に言われる建物の坪単価を考えれば、今回の建築費の<500億円>は超高層ビルが2本ぐらい出来ますから(JR東海の名古屋ツインビルは350億円、容積比で計算すれば10倍以上でしょう。
逆から言えば、通常のビルの10倍の坪単価となります。
しかし、その建物の価値は<それ以上>と判断した訳です。
なぜなら、今更、東京駅が超高層化されても何も感じませんが、70年前の姿で蘇り尚且つ、最新の耐震技術が支えていることは、100年先にも残せる社会資産となったのです。
もし、超高層ビルを建てたなら、100年後は間違いなく別の建物が建っているでしょう。
これと対照的な話が、大名古屋ビルディングです。
こちらは、戦後20年近く経って建てられました。(1962年)
確かに50年の歴史はそれなりに人々の琴線に触れる物があったようですが、老朽化が進んだ建物を「復旧して使い続けよう」と考えた人はいませんでした。
ビルのオーナーは日本一の大家(三菱地所>ですから、それなりにお金を掛けた建物です。
エレベーター廻りの大理石は、昨今では入手困難な代物でしたし、外壁は当時モダンと言われた大きなアールが架かった造りです。
けして安物の造りではないことは、建築を知らなくとも感じるでしょう。
では、なぜ東京駅は復元され、大名古屋ビル(略称)は取り壊される運命か?
これこそ、K’z Homeが長年訴えてきた<答>です。
東京駅は、100年後にも残したい建物で、大名古屋ビルは寿命が来たら新しい物に変わっていくしかない建物だったのです。
東京駅を設計した辰野金吾(東大工学部の祖)は、明治政府に雇われて来日し、鹿鳴館等、日本の各地に名建築を残したジョサイアコンドルに師事し西洋建築の基礎を学んだ人です。
もちろん、<駅>という特殊性もあるのですが、<ゴシックリバイバル>の典型として美しい建物と思います。
工事費の捻出方法も、自己資金でなく<空間価値>を売って作ったことはとても意味があるように思います。
言い忘れました。
コンドルは、東京大学建築学部の前身、東京工科大学校の講師を辞職した後も日本に住み続け、大名古屋ビルのオーナーで三菱の創始者岩崎家を顧客として住宅や別荘、そして三菱1号館~3号館を設計しています。(現存する1号館はそのレプリカ)最初に東京駅は高層ビルの坪単価の10倍掛ったと言いましたが、今回の耐震化(免振)によって、500年でも存続可能と思います。
もし、高層ビルを建てていたら50年ごとの建て替えで、10回も取り替え引き替えすることになるでしょう。
結局、経済的でもなく、資源の浪費と環境への負荷を増やしたことでしょう。
また一つ、東京に自慢が出来てしまった気がします。(悪いわけではありませんが)
大名古屋ビルの後は高層ビルだそうです。
名古屋の玄関、駅を出たら最初に眼に付く建物ですから、味気ない物にならない事を願うばかりです。

名古屋城の本丸復元と天守閣の木造化(今はコンクリート)をする構想がありますが、こちらは税金で賄おうとして苦戦しています。
確かに、空襲で焼けた天守閣が再建時に木造ではなく、コンクリートでしてしまったことは残念ですが、今ある建物を解体して木造にするには、大変な費用が見込まれ、税金を充てにしたら減税どころか、増税しなければいけないでしょう。
東京駅は公益施設ですが、民営化されたJR東日本の経営によって成り立っています。
従来の経済感覚なら超高層ビルを建ててテナント料で儲け、利益化するでしょう。
JR東海の名古屋駅がまさにその典型です。
500億円という途方もない工事費を<空間を売る>というウルトラ級のアイデアで捻出した東京駅は、経営的にも<優れた費用対効果>と言えます。
一方、名古屋城は名古屋市の所有で、仮に空間売買が可能だったとしても、城の廻りに高層ビルが乱立したら肝心なお城が見えなくなってしまいます。
まして、名古屋城近辺にそれほどオフィス需要やホテル需要が有るとも思えません。

こうした悩みは、名古屋に限ったことではありません。
東京意外の地方都市では、残したい建物やもっと価値ある建物にしたいと思っても、資金的な問題に行き詰ってしまうのです。
同じ方法はとれませんが、アイデアで救うしかありません。
そして、<文化を感じる建物を残すことは、私たちのこころを豊かにしてくれる事>に気が付いてほしいものです。
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by kzhome | 2012-10-05 08:30 | 社長の日記